こんにちは。韓国で2人の子どもたちをバイリンガルに育てるべく毎日奮闘中のまめちゃん(@mame_chang)です。海外で子育てをしていると日本と勝手がちがったり、言語や文化の違いにより戸惑うこともあります。
韓国でバイリンガル育児をしていると時々周りのお母さんから
という声を聞きます。果たして海外で子育てをしている人は現地の言語がわからない方が、子どもの日本語って伸びるのでしょうか?今回は、上の子の様子を見ていて思い出した 「過去に出会った日本人ママ」と、そこから思った「もし......」についてお話ししたいと思います。
親(私)が韓国語がわからなければ子どもの日本語はもっと伸びてたのかな?!
海外に住んでいても子どもたちには日本語や日本文化を受け継いで欲しいと奮闘中の私ですが、子どもたちの様子を見ていて、
や
と考えることがあります。例えば、
「もし、私もバイリンガルに育てられた人だったら?」
「もし、我が家か韓国ではなく日本に住んでたら?」
などなどです。「もし」はあくまでも仮定なので現実にならないとわからないことが多いのですが、それでも考える時があります。ところで、上の子が小学校高学年になってから、自分なりの興味の対象ができてきました。それは喜ばしいことなのですが、日本語が脇に追いやられるのはさびしくもあります。
過去に出会った日本人ママ
まず、以前韓国で出会った日本人ママの話をしたいと思います。その方は駐在員の奥さんで、3年間の予定で韓国に来てました。お子さんは複数いて幼稚園児でしたが子供たちが幼稚園でどんどん韓国語を覚えて行くのに対し「韓国語は万年初級だ」と、お母さんご本人も言っていました。
私が一度、
と聞いたら、
と笑い飛ばしていたのが印象的でした。もちろん、親が韓国語がわからなかったら日本語で言うしかないのですが、果たしてそうなのでしょうか......?
もし、私も韓国語がわからなかったら・・・?!
この日本人ママの子どもたちの様子を見ていると、親が韓国語ができないことをわかっているのか、全て日本語で話していました。幼稚園児だったので会話力しか見てませんでしたが、先日このブログにうちの子たちの書く「文字」について書いたこと、特に上の子の話を書きながらこの日本人ママのことを思い出して、
と思ったりもしました。もちろん、私が先ほど話したお子さんたちは幼稚園児で今のうちの子は小学校高学年です。また、私が当時見ていたのはそのお子さんたちの会話の力で、今私が自分の子どもについて思ったのは書く力のことです。
そのため、年齢的にも違うし見ている力も違うので比べられませんが、なぜか私の頭にそんな「もし」が、よぎったのです。
バイリンガル子育てをする上で。
では、その「もし」の話をちょっと進めてみると、もし私が韓国語がわからなかったら今私がやっている韓国でのバイリンガル子育てができたでしょうか? 韓国語がわかることで今できていることは例えば次のようなものです。
- 子どもが日本語を間違えた時に理由がすぐにわかる。
- 子どもが「韓国語ではわかるけど日本語ではわからない」という言葉がある時にすぐに教えることができる。
- 子どもに日本語と韓国語の違いを説明したり一緒に違いを考えたりすることができる
まず、1.ですが子どものする間違いを見ているとバイリンガル児の場合の間違いは大きく分けて次の2つぐらいに分けることができると思います。
- 韓国語からの直訳(単語、文法)。
- 韓国語では1つの単語で言い表せることが日本語では場合により言葉が違う場合。
そして、2.のように子どもが日本語で言えないことをその場でその場面に合った日本語を教えることができます。3.については言葉の使い方について子どもに説明したり、子どもが日本語で言えないものについて私もよくわからない場合は、一緒に考えたらいいと思います。一緒に考えることは子どもたちに「答え」をすぐに教えてしまうのではなく「考える」という過程があるので、子どもたちにもプラスに働いてくれたら嬉しいなと思いました。
このように考えていくと、韓国語がわからないと特に直訳をしたような日本語の間違いは「直訳が原因だ」と断定できず、
ぐらいで止まってしまうのではないかと思います。
そうなるとやっぱり結論としては、「韓国語はわかった方がいい」と思います。今のところうちの上の子が日本語で書くべき時に韓国語を使うのは、時間的に余裕がない時だけです。そのため、子どもに韓国語を使わせるかどうかは子どもの様子や子どもがする日本語の間違いなどを見ながら調節していけばいいかな、と思います。
まとめ
今回は、上の子の様子から思い出した過去に韓国で出会った日本人ママとお子さんたちの話と、そこから考えた「もし」について書いてみました。子どもたちがする日本語の間違いの理由がすぐにわかったり、違いなどが説明できるのはやはり韓国語がわかるからというのが大きな理由のような気がします。
「子どもの観察」して、「親が持っている知識など」をどう使うか考えて・・・その繰り返しなのかもしれません。