こんにちは。まめちゃん(@mame_chang)です。韓国で2人の子どもたちを日韓バイリンガルにしようと毎日奮闘しています。
外国語の勉強をしたことがあれば、「さぁ、今から◯◯語の勉強を始めましょう〜!」のように授業が始まることもよくあると思います。
そうすると、授業を受けている人は「今から◯◯語の勉強だから、◯◯語使わなきゃ。」と意識したり、「よし! 授業料払ってるんだからたくさん吸収しよう〜。」など、考えることもさまざまだと思います。私は、学校の英語の時間はほとんど義務で勉強してたので、興味を持つまでは「英語やるぞ〜」なんて思ったこともなかったです。
ところで現在、自分の子供たちを韓国でバイリンガル子育てしてますが、上の子と話してた時に、上の子が言ってたことから気づいたことがあります。それは、日本語と韓国語の言語の切り替えについてでした。今日は、上の子が言ってたことから、
「一瞬わからなくなることアリ?! 私、今何語しゃべってる?」
と題して書いてみようと思います。
一瞬わからなくなることアリ?!「私、今何語しゃべってる?」
小学校高学年の上の子は、日本語聞いたり話したりすることは日常会話については問題なくできます。
最近、パパ(←韓国人)との会話にちょこちょこ韓国語が混ざるのですが、私に対して必ず日本語です。上の子に、
と聞いてみました。すると、韓国のおばあちゃんとは韓国語、日本のおばあちゃんとは日本語、ママとは日本語、パパとは最近2つの言語が混ざってる、、のような答えが帰ってきました。
そこで、
と聞いてみたら、
というのです。さすがに学校の友達に日本語で話すことはないのですが、毎日の生活の中で今一体自分が何語をしゃべってるのかわからなくなることがあるというのです。これってどういうことなのでしょうか?
何語しゃべってる?バイリンガル児だけに起こること?
もうちょっと詳しく話を聞いてみると、「わからない」というのは誰かとしゃべってる時に普通に会話をしてるのですが、気づけば韓国語、気づけば日本語というふうに意識しないで言語を切り替てたということらしいです。
これは日常的に2つの言語を使って生活するバイリンガル児に起こることなのだろうか? と考えてみました。
しかし、考えてみたら私にも似たような経験があります。私はバイリンガルとして育てられたわけではありませんが、家族でレストランに行った時などにお店の人には韓国語、家族には日本語が自動的に出てくるような感覚です。
なぜ何語しゃべってるかわからなくなる?
なぜこうなるのでしょうか。考えてみるときっと次のようなことではないかと思いました。
- 言語の切り替えがスムーズすぎて意識しないほどだから。
- 相手によって使う言語が決まっているので切り替えはほぼ自動的だから。
- 相手ではなく条件によって言語を切り替えるのが習慣により自動的になってるから。
勉強を始めたばかりの外国語やちょっと旅行のためにサバイバル的に覚えた外国語を、ネイティブに使ってみる時は、
とか思いながらドキドキして使うと思います。しかし、バイリンガル児の場合は2つの言語を使うことが日常的で習慣となっているので、相手によってまたは条件によって使う言語が決まって来ていて切り替えが自動的なのではないかと思います。
ここでいう「条件」とは、例えば
「いつもママとは日本語だけど、親戚が入ると・・・」
というようなことです。この、「条件」については一時帰国した時には、
「家族とは日本語で話すけど、レストランの人とは韓国語で話す。」
の「韓国語」の部分が「日本語」に変わります。さすがに日本のレストランで店員さんを呼ぶ時に韓国語で呼びかけたことはありませんが、
「日本にいる時は、家族とも日本語で話すし、レストランの人にも日本語で話しかける。」
というのが一種の「条件」なのかも知れません。
そして、2つの言語の切り替えがほぼ無意識でスムーズだとすれば私の個人的な意見では、これはいいことではないかと思います。それは、外国語を勉強した経験からいうと言語の切り替えがスムーズだとコミュニケーションも円滑に進むと思うからです。
バイリンガル子育てをしている毎日の中で
きっと2つの言語を使い慣れていないと、スムーズな切り替えはきっと難しいとも思います。うちの子どもたちの場合だと、私や日本のおばあちゃんとは日本語、韓国のおばあちゃん、幼稚園や小学校先生とは韓国語とはっきりきまっています。
そして、幼稚園や小学校の先生と話す時は私は韓国語なので、子供も自然と韓国語となるようです。それは、幼稚園や小学校の先生が日本語がわからないからです。
しかし、最近気になるのは旦那と上の子が日本語だったり韓国語だったりすることです。もしかしたら、同じ人と会話をする時に頻繁に言語を切り替えるので、それでも言語よりも内容に焦点が当たっているので、意味がわかりコミュニケーションが成立していたら、
という意識はないのかも知れません。
そう考えると、今まで旦那と上の子が韓国語で会話することはあまりいいとは思わなかったのですが、観察すれは何か見えてくるものが他にもあるのではないかと思ったりもします。
まとめ
今回は、上の子と話してた時に子どもが言ってたことから、考えたことを書いてみました。意識せずに言語が切り替わるのはきっと自然なことで、個人的にはいいことではないかと思います。
また自然に切り替わり、それを本人が意識してないというのは「言語」自体よりも、話していいる「内容」に焦点が当たっているからではないかとも思います。そして、最近増えてきた旦那と上の子の韓国語の会話にもきっと私にはまだ見えていない他の何かがあるような気がするので、今後も観察を続けていきたいと思います。
・コードスイッチの話 ↓↓