こんにちは。韓国で二人の子ども達を日韓バイリンガルに育てているまめちゃん(@mame_chang)です。毎日何気なく使っている言葉には実はあるルールに則って使われているということを、日ごろ私たちはどのぐらい意識しているでしょうか。
自由自在に使える言語(母語)であればあるほど、なかなか意識しないものだと思います。しかし、外国語の勉強を始めると文法や言葉の使い方を覚えないといけないため、途端に言語にはルールがあることを実感させられます。
一方、子どもはどうなのでしょうか。いくらネイティブと言っても幼ない子ども(保育園児、幼稚園児)は、まだまだ言語を身につけている途中なので完璧とは言えず、かわいい間違いや大人は思いつかないような言葉を使って大人をビックリさせ、そして笑わせてくれます。
この、子どもがやってしまう間違いには何が隠れているのでしょうか。
今回は「子どもは言葉のルールを自分で作る?!」と題して、第二言語習得の概念もちょっとご紹介しつつお話をしたいと思います。
子どもは自分で言葉のルールを作る?!
子どもがする間違いには色々と種類があり、おもしろいものは、どうしてそうなったのかも合わせて私はTwitterでつぶやいています。
例えば、次のようなものです。
<例1>
、
芯の折れた鉛筆を見て「使えないだよ」
と言う下の子(幼稚園児)
「だ」が余分
日本語学習者なら
「ない形だよ」
「ない形よ」
(これは正確には可能形の否定形のミス)でも幼稚園児には
「使えない、食べられない、読めない、みたいに ~ない の後には、だよ、じゃなくて よ、だよ」
— バイリンガル育児@まめリンガル (@mame_chang) March 30, 2019
これを見ると、例えば<例1>なら
「使えない」+「だよ」
を別々に知ってる子どもが
「大きいよ」
「ジュースだよ」
のようなものを混同し、本当は「だよ」をつけてはいけない「使えない」にも「だよ」をつけて「使えないだよ」という文を作ってしまったということになります。
では、次の例を見てみましょう。
<例2>
、
大人の日本語学習者が文字(平仮名とか)を見ながら日本語を覚えるのに対して小さい子は耳から入る(耳コピ)なので聞き間違えや発音を間違えて覚えることもあり
「◯◯なの?」を
「◯◯だの?」と言ううちの幼稚園児周りに日本語話す人が限られてる場合は、日本語が母語の親が意識して訂正
— バイリンガル育児@まめリンガル (@mame_chang) March 13, 2019
また、<例2>も「なの」と言うべき時に「だの」と言っています。前からだけど訂正しようと思いながら放置してきたものです。 海外育児で日本語を直してくれる人が限定される場合は日本語がネイティブの親が意識して直さないとそのままになってしまいます。
子どもは、小学校に入るまでは文字を見て言葉を覚えるということよりは、耳で聞いて言葉を覚えます。また、小学校に入る前の子どもには文法なんて言葉は通じないし、概念すらわからないと思います。
そのため、子どもが言葉を発する時には次のような流れになっていることが考えられます。
たくさん耳で聞く
↓
自分もその言葉を使ってみる
(自分なりのルールが生まれる?)
↓
修正または定着
単純に3つのステップなのですが、そこには生まれた時から耳から入ってくる膨大な量の言葉、文、文章があり、頭の中にはビックデータとも言える単語帳と文法規則が作られるのではないかと思います。
ところが、このものすごい量の語彙と文法は耳からの情報を元に作られているので、いくら子どもは耳がいいと言っても必ずしも正しいとは限らないようです。
それが垣間見られるのが、子どもがするかわいい間違いです。
先ほどの私のTwitterの例で行くと、
<例1>は、「過剰一般化」
そして
<例2>は、「化石化」
と言われています。では、次にこれらについて第二言語習得の、ある概念をご紹介しながら、一体どういうことなのか、お話したいと思います。
中間言語とは
先ほどの2つの例は、第二言語習得の分野では「中間言語」と呼ばれていてアメリカの言語学者であるセリンカー(Slinker)によって1972年に提唱されました。 第二言語習得とは、自分の母語の次に身につける言語の事で、だいたい小学校低学年以降に身につけるものを指します。
そのため、厳密に学問的にはバイリンガル育児とは関係ないのですが、当てはめてみると通じるものもあると思いました。
★引用
言語学習では、中間言語を第二言語(外国語)の学習者が言語を学んでゆく過程で発する、目標言語とは様々な点で違った体系を持つ学習者に特徴的な言語として用いる。すべての言語において、その個別の学習者には中間言語が存在する。この中間言語は当然、学習者の習得レベルや学習内容、母語などに影響を受ける。
Wikipedia「中間言語」より
例えば、日本語だけで育った私が中学生になってから英語を初めて勉強を始めて
と覚えたとします。そして、不規則活用をする動詞にも
と何にもでも当てはめてしまうことです。これは、私のツイートの例で言うと、<例1>「使えないだよ」も同じです。これは、この中間言語という概念から言うと「過剰一般化」といわれます。「過剰一般化」とは、この言葉そのままの意味で、自分が学んだことや知ったことを何にでも過剰に当てはめすぎてしまうことです。
次に、もしこの過剰一般化された私の「eatの過去形はeated」が、誰にも指摘されず会話で使っても文脈で言いたいことは伝わってくるからと、誰も訂正してくれなかったらどうなるでしょうか.....?
きっと私はそれが正しいと思っていつでも「eated」という人になってしまうと思います。そしてそれは私の中で定着していくのです。このように定着してしまった間違いは中間言語の概念では「化石化」と言います。
バイリンガル育児をしている親としてどうしたらいいの?
では、バイリンガル育児をしている親としては、このような中間言語とも言える子どもの言葉にどのように対応したらいいのでしょうか。考えられることは次の2つです。
1.子どもなりのルールを理解する。
2.間違っているなら化石化する前に訂正する。
では、ひとつずつ見ていきます。
1.子どもなりのルールを理解する。
子どもと一緒にいる時間が長かったり、時間は短くても子どもと充実した時間を過ごしていれば、子どもが何か大人が想像もつかない間違いをした時に、どうしてそうなったのかや子どもなりのルールがすぐわかります。
もしわからなかったら、子どもに聞いてみてもいいかもしれません。子どもが、子どもなりに作ったルール(大抵の場合は文法)は、どんなルールで、どうしてそんなルールを作ったのかを考えてみるとなかなか興味深いものがあると思います。
2.間違っているなら化石化する前に訂正する。
これは、日本に住んでいたら毎日日本語の海の中を泳いでいるようなものなので、変な言葉を使っていてもいつの間にか国語の時間や周りの大人の指摘などを受けて直っていくもののようです。
しかし、これが海外在住のバイリンガル児となるとどうでしょうか。しかも現地校に通っていて周りの日本語ネイティブが親だけ.......となると、正しい日本語を聞く機会も日本在住の子どもほどなければ訂正してもらえる機会もそれほどないかもしれません。
そうなると、いくら子どもの耳がよくて色んな音が聞き取れるとはいえ、聞き間違えたものをそのまま覚えて誰も訂正してくれなかったら、そのままになってしまいます。
子どものころはさておき、子どもが成長し自分が日本語が多少なりともできることに優越感やプライドを持っていたら......? やはり間違いをそのままにしたままは子どもにとってもよくないと思います。
完璧が理想かもしれないけど、そうではなくても間違いはできるだけ早い時期に直したほうがいいと思います。
・子供の間違いに関する過去記事 ↓↓
まとめ
今回は、アメリカの言語学者であるセリンカーが1972年に提唱した「中間言語」という概念を、子どもが使う日本語に当てはめてみました。中間言語は、第二言語習得で学習者に用いられるものですが、子どもが日本語を覚える過程でする間違いや、自分なりのルールにも通じるものがあるように思いました。
子どもが作るルールには子どもなりのルールや理由があるので、観察をしたりメモをしたり子どもに聞いてみたりして深く見ていくと興味深いしおもしろい発見があると思います。
また、間違いは過去記事でも触れているように放置すると化石化してしまいます。せっかく海外在住でも日本語ネイティブの親がいるなら化石化させないようにしたいものだと思います。